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たまごの「生産者」? でも生産しているのは鶏さんなんだなあ

 私たちは人に紹介されるときなどによく、たまごの「生産者」とよばれます。すると私は、どうもムズムズしてしまいます。「いや~、たまごを作ってくれるのは鶏さんで、私はただ集めてるだけなの~」
 
 すみません。これではヘリクツおばさんでしょうかね。
 
 でもでも、実はヘリクツではなく、本当にそう思っているのです。

 たまごの材料(原料?)といえば、鶏の餌でしょうか。
 そう、私たちは毎日、穀物や魚粕や米ぬかや貝殻といったもので餌を作っています。でも、その餌をサラサラと手に掬ってつくづく感じることは、私たちはどんなに頑張ってもこの餌からたまごを作り出すことができない、ということなのです。
 この餌を煮ようと焼こうと、あるいはどんな科学技術をほどこそうと、どうにもこうにもたまごにはならない。この餌からたまご(鶏の)を作り出せるのは、鶏だけなのです。 

 人間の技術はすごいもので、たとえば鶏を飼うために、どえらい装置を作ります。5万羽が入る鶏舎に、決められた時刻に餌が出てくる自動給餌機、一年を通して温度や湿度を保つコンピュータ制御の空調設備、ベルトコンベヤの集卵装置。
 でも、そんなすごいものを作れても、肝心のたまごはどうやっても作ることができません。どんなすばらしい装置を作ろうと、そこに1羽の小さな鶏がいなければ、たった1個のたまごも得ることができないのです。
 その無力さといったら、こっけいなほど。 

 その一方で鶏は、生まれて5ヶ月にもなれば、実にやすやすとたまごをつくり出します。
 その自然さといったら、神秘的なほど。

 なぜなんだろう。この違いはなんなのだろう。
 「なにバカなこといってんだ、当たり前だろ」といわれそうなんだけど、敢えて「なぜ?」と問うてみます。

 えーっと、鶏はどうやってたまごをつくるんだっけ。食べたものが身体の中で・・・吸収されて・・・、そう、加工されるのではなくて、別のものとして新しく・・・。 

 別のものとして新しく? なぜそんなことができるんだっけ? そして私は、「ああ、鶏は生きもので、たまごはその子どもなんだな」というところに着地しました。まあ、結局当たり前のことに落ち着いただけ・・・なのかな。
 でも、わかりました。私たちのたまごのつくれなさは、生きもののつくれなさだったのです。

 そう思ってみたら、食べ物はみんなそうでした。米・麦であれ、野菜であれ、肉であれ、魚であれ、みんな生きもので、私たちにはつくれないのです。工業製品のような食べ物、たとえばスナック菓子やチョコレートや、カップラーメンやカレールーも、そうした生きものを、加工しているにすぎないのでした。私たちは、自力で食べものをつくるということが、実は全くできていなかったのですね。

 私たちが食べているのは、「食品」ではなくて生きものなんだ――。私たちは自然から離れて、高度な科学技術を駆使して生きているつもりになっていますが、ほかの生きものを食べるしかないという意味では、野生の動物となにも違いはしなかったのです。
 鶏を飼い始める前にも、「食べ物にはたくさんのいのちが入っています。感謝していただきましょう」という言葉を聞いたことはあるはずなのですが、残念ながらそのときは得ることのできなかった強い実感を、鶏を飼って暮らすようになってから得ることができました。

 私はたまごを生産しているのではない。鶏という別の生き物と一緒に生きるという生き方をしているのだ。そして鶏からたまごをもらっているのだ・・・。

 そんなふうに思うもので、「生産者」と紹介されると、「いやいやいや・・・集めてるだけ」と、心の中で言ってしまうのです。ははは。

                            この記事: 鶏飼い(ま)
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  • 2012/11/11(Sun) 08:33 
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